コピーライター

30代でコピーライターに転職した理由とその結果

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たにーです。

この記事では、なぜ僕が40代を目前にしてコピーライターに転職することになったのか、その経緯と理由。

そして実際に転職してどうだったのか、その辺の詳しいところをお話ししていこうと思います。

コピー業界とは何の縁もゆかりもない、まったく無名の一般人が、独学でコピーを学び、コピーライターになって実際に仕事を獲得して生活しているというリアルストーリーです。

コピーライターとして大成功している、才能やセンスあふれる人間が話す現実味のない話ではありません。

どこにでもいる普通の人間でもコピーライターになれるんだということを、リアリティをもって自分事として受け止めていただけるはずです。

ぜひご覧いただき、誰にでもコピーライターになることができるという可能性を感じていただけるとうれしく思います。

コピーライターで食べていくことは可能なのか?

macbook

2017年2月で、コピーライターとして独立してから約1年になります。

1年前、まさか自分がコピーライターとして独立して仕事をするなんて夢にも思っていませんでしたし、正直言って、1年続くとも思っていませんでした。

それが、あれよあれよという間に、気が付けばあっという間に1年が経っていたんです。

自分でもびっくりしています。

コピーライターという仕事について詳しく知りたい場合は、以下の記事をご覧ください。

で、一番気になるのは、「コピーライターで独立して食べていけるのか」ということじゃないでしょうか。

ビジネスやマーケティングなどを勉強している人なら、「コピーライティング」という言葉は、それこそもう聞き飽きたというくらい耳にしていると思います。

「コピーの重要性」なんて今さら言うまでもなく、コピーライターじゃない人も当たり前のようにコピーライティングを勉強している時代です。

最近では「セールスライティング」とも言われていますよね。

そして、コピーライティングのブームに乗って、コピーライターを名乗る人も一気に増えました。

そんなライバルだらけの中、あえてコピーライターとして勝負を挑む。

あまのじゃくな僕にぴったりの選択です。

そしてこの1年、食事・睡眠・時々家族以外のすべての時間とお金を、コピーライターとしての仕事とスキルアップに費やし、ガチで勝負してきました。

家族も子供もいますし、コピーの仕事以外に収入はありませんので、これでコケれば家族ともどもすべてが終わる、本当のガチの勝負です。

恐らく、これまでの人生の中で一番働いたと思います。

新卒で入社した会社も、その後転職した会社も相当ブラックだと思っていましたが、今思うと全然マシです。

今なら、笑顔で働けそうな気がします。
でも、働きたくはありませんけどね(笑)。

で、話を戻して、コピーライターとして食べていけるのかどうかということですが、この1年ガチでやってみて出た結論は、「食べていける」

まだ1年しかやってないだろ、と言われそうですが、とはいえこの1年で正味3年分くらいは働いた感覚です。

自分で言うのもなんですが、まあそこそこはやってきたんじゃないかと思います。

そして、そんな中で、業界の仕組みや裏事情も少しづつ分かってきましたし、どうすれば仕事を獲得し安定的に収入を得ていくことができるのか、というコツもつかんできました。

そして、売れるセールスレターを書けさえすれば、巨額のお金が手に入り、継続的な不労所得を得ることができる、というのも幻想だということが分かりました。

確かに、セールスレター1本で大きなお金を稼ぐ人もいるにはいますが、はっきり言って、ごく少数です。

コピーライターを始めたばかりの人間が、そう簡単に大きなお金を稼ぐことができるほど、甘い世界ではないということが理解できました。

ですが、最初から大きな額を狙おうとすると難しいですが、普通に生活できるレベルで収入を取ろうとするのなら、それは可能です。

僕は今、実際に、サラリーマン時代以上の収入を毎月安定的に得ることができています。

僕が一体どうやってコピーライターになり、サラリーマン時代以上の収入を得ることができるようになったのか。

この1周年を機に、これまでのことや日々の出来事、コピーライターという仕事はどういうものなのか、どんな生活をしているのか。

そして実際の現場で使われているコピーライティングのテクニック・情報・ノウハウなどを備忘録的に書き残していこうと思います。

どこにでもいるような普通の人間が、コピーライターとしてどこまで行けるのか。

本当に長期的、継続的に収入を得て生活し家族を守り子供を成人させ、周りに迷惑をかけることなく後悔のない人生を全うできるのか。

その全貌が明らかになるはずです。

もしかしたら、途中で挫折して、またサラリーマンに逆戻りするというある意味ドラマチックな展開が待っている可能性も否定はできません。

この先成功するのか、挫折するのか、一体どうなっていくのでしょうか。

それは、僕にも分からない…。

ですが、現時点で言えるのは、努力次第で誰でもコピーライターになることはできるし、ちゃんと継続的に仕事をして稼ぎ、生活していくことは十分に可能である、ということです。

コピーライターになると言った時の周囲の反応

僕がコピーライターになるって言った時、ほとんどの人が反対したんですよ。

仕事もちゃんとあって、それなりに収入もあって生活もそこそこ安定している。

家族だっているのに、なぜそんなリスクを冒す必要があるのかと。

確かに、その通りだと思います。

僕はもともと、コピーライターとは何の関係もない仕事をしていました。

頭よりも身体を使う、むしろ真逆の仕事の方が多かったです。

そんな人間が、いきなり文章を書いて食べていくと言い始めたのですから、止めるのも無理はありません。

僕の事を考えて言ってくれていた、というのは分かっています。

もちろん、家族にも反対されました。

子供もいるし、これからお金だって必要になるのに、せっかく軌道に乗ってきた仕事を捨ててまで、そんなことをする意味がわからない。

「騙されてるんじゃないの?」

って言葉には出しませんでしたが、そんな感じの表情と口ぶりでした。

まあ、妥当な反応だと思います。

自分が逆の立場なら、絶対に反対するという自信があります。

「すごいですね、頑張ってください」

という人も中にはいましたが、

「どうせ無理だろ」

的な雰囲気を醸し出していました。

僕は昔から基本的にあまのじゃくなので、「無理・できない」と言われると、どうしてもやりたくなってしまいます。

コピーライターは稼げるとか稼げないとか、いろんな情報が出回っていますが、実際のところ自分でやってみないと分かりません。

そもそも、稼げる稼げない以前にコピーライターとして食べていけるのか、家族を養っていけるのか、それすら分からないのです。

いろんな情報を見たりいろんな人の話を聞いたりしましたが、出した結論は「結局自分でやってみないと分からない」ということでした。

まあ、正直言って、この歳と環境で新しいことにチャレンジするのは勇気がいります。

ですが、当時の仕事も安定していたようで実はそうではなく、じわじわと落ち込みつつありましたし、将来的に厳しい状況になるというのは明らかでした。

この状況をとにかく何とかしなければ、考えているところで出会ったのが、コピーライターという仕事だったんです。

では、以前はどんな仕事をしていて、どういう経緯でコピーライターになろうと思ったのかを、簡単にご紹介しますね。

コピーライティングとの出会い

父が建築系設備の職人をしていて、サラリーマンを8年ほど経験したあと、出戻りで父の後を継ぐことになりました。

実際に現場に入ってみて分かったのですが、仕事のほとんどが下請けだったんです。

下請けは、とにかく不安定です。

元請けの仕事がなくなると、下請けの仕事もなくなります。

仕事がなくなったからといって、元請けが助けてくれるわけでもありません。

元請けは元請けで、自分のところの社員を食べさせなければならないので、下請けの仕事は正直後回しになるんです。

「次の現場、いつごろになりそうですか?」

「うーん、ちょっとわからんね」

「・・・」

そんな感じで、2か月も3か月も仕事がないことがたまにあったりするんで、そうなるとその間の収入はゼロになってしまいます。

特定の工務店専属でやっていたので、他の業者との付き合いもほとんどありませんでした。

仕事がない間は、知り合いの同業者の手伝いに行ったりしてなんとか食いつないでいました。

で、さらに悪いことには、

「施工費もうちょっと安くしてくれる?」

「え、どうしてですか?」

「いや、実はたにーさんより安くやってくれるっていうところがあってね」

「うちは材料も品質の高いメーカー品を使ってますし、施工品質も落とせませんから、これ以上の値下げとなるとちょっと厳しいです」

「なんとか協力してよ。うちも予算が厳し中やってるんだから。相見積もりでお客さんに金額のこと言われちゃって。この物件なんとか取りたいんだよね。ダメならそっちにお願いもできるんだけど、どうする?」

「・・・わかりました」

というような具合で、施工費が少しずつ削られていきました。

機嫌を損ねると仕事がもらえなくなりますし、仕事を獲得するためには元請けの言い値でやるしかありません。

利益が出なくても、仕事がないよりマシという感じです。

業界の仕組み上仕方のないことですが、下請けは結局どこまで行っても下請けということなんですよね。

仕事の状況が元請け次第というのは、どう考えても危険すぎます。

元請けが倒れれば共倒れになる、ということですから。

このままいくら頑張っても、下請けじゃ先はないな、と心から思いました。

で、自分で仕事を取るためにマーケティングやセールスを勉強していて出会ったのがコピーライティングだったんです。

自作モノクロチラシで年商が2倍に

チラシ

新規のお客様から直接受注を取るには「とりあえずチラシだろ」

ってことで、サラリーマン時代に作成していた内部書類の延長のような、初めての自作チラシを完成させました。

ワードで作った、100%文字のみチラシ。

しかも、自宅のプリンターで印刷したモノクロのみのチラシです。

当時はパソコンのスキルも大したことなかったので、正直「これチラシですか?」ってレベルのものだったと思います。

文章だけはそこそこ得意だったので、とにかく文字で勝負しました。

その怪しいチラシを、あらかじめ目星をつけていた集合住宅エリアへ、自らポスティングしに行きました。

18軒、ささっとポストに入れてそのまま次の仕事に向かいます。

初めて作ったチラシで、しかもモノクロでデザインもなにもないチラシだったので、ほとんど期待はしていませんでした。

まあ、1件くらい問い合わせが入ればラッキーかな、くらいの感じで。

とりあえず、自分でチラシを作ってポストに入れた、ということに満足していたんです。

次は、もうちょっとマトモなものを作れるようにパソコンやデザインも勉強しないとな、って思いながら帰宅したところ、嫁さんから

「○○さんって方から、チラシの内容を詳しく聞きたいって電話があったんだけど、この番号にかけ直してみてくれるかな?」

という驚きのひと言が。

その場ですかさずTEL、次の日の午前中にうかがう事になり、なんだかんだでその日のうちに契約ゲット。

その後も立て続けに問い合わせが入ったり、追っかけでセールスをしたり、施工中に様子を見に来たご近所さんの契約が決まったりして、気が付くと最終的に17軒契約してました。

ダメだった1軒は、ライバル会社のお宅です。
果敢に営業しましたが、やっぱりダメでした(笑)。

ちなみに、施工単価は1軒10~20万円くらいの水回り関係の改修・リフォーム工事です。

そのうち2件のお客様からは、さらに30万円〜50万円レベルの追加の注文もいただきました。

追いセールスもやったので、すべてチラシからの契約というわけではないですが、契約の起点は間違いなくチラシです。

なんのデザインもない、モノクロの文字だけのチラシでお客様にアクションさせ、契約することができた。

しかも、これまで1度もチラシを作ったこともない人間が初めてつくったチラシで。

最終的に、このチラシのおかげで、その年は年商が一気に2倍まで跳ね上がることになったんです。

かかったコストは、ほぼゼロ。

コピーライティングの威力をリアルに実感した出来事でした。

といっても、この当時はまだコピーライティングという言葉すら知らなかったのですが。

仕事の限界が見え将来に不安を覚える

1回チラシが当たったおかげで、自社で仕事を獲得することができるようになり、下請けの比率をかなり減らすことができました。

ただ、仕事は増えてはきていたものの、建築業界自体に漠然とした不安も感じ始めていたのです。

というのも、建築業界は波が激しく不安定な面があり、売り上げがなかなか安定しないという側面があったりするからです。

しかも、当時は基本的に家族のみでやっていて人手も少なかったので、必然的にこなせる仕事量にも限界がありました。

いくら一人で二人分働いたとしても、結局二人分以上のものは生み出せないので。

労働収入だから、レバレッジも効かないんですね。

一人で二人分働くということは、それだけ時間的・肉体的な負担も大きくなりますし。

体力には自信があったので、二人分働いても全然問題ないと思っていたのですが、2年・3年と続けていくうちに、だんだんと疲労が蓄積し身体の節々の痛みに悩まされるようになってきました。

件数が増えると、日にちや時間が重なることも増え、スケジュール的にもどんどん厳しくなっていきます。

とはいえ、安定的な受注が保証されているわけではなく、忙しい時と暇な時の差も大きいため、安易に従業員を雇うわけにもいきません。

仕事がないときの人件費は大きな負担になりますし、それなりの利益を見込める仕事がないと、人件費で赤字になってしまいます。

外注に出そうにも、外注費がそれなりにかかるので、その費用が出せない現場では外注を使うこともできないわけです。

仕事が自分のキャパを超えてしまった時点で、売り上げの上限が見え、限界を感じてしまいました。

こんな状態を、あと何十年も続けることはできません。

また仕事がなくなってしまったら…という不安は常に消えることはありませんでした。

なので、もしものときのために本業以外にも収入を得られるようにと考え、副業を始めることにしたのです。

ネットビジネスでサラリーマン時代以上の月収を稼ぐ

コイン

すき間時間で取り組める副業を探していたところ、見つけたのがネットビジネスでした。

実は、ネットでビジネスを始めたのはもう10年以上も前になります。

ただ、ネットビジネスと言っても、始めた当時は、不用品をヤフオクで売ったり転売をしたり、といった程度のものです。

今のせどり輸入転売のような感じです。

ヤフオクを始めた当時は、規約もあまり整備されていなくて、結構フリーダムだった記憶があります。

明らかに怪しい商品もたくさん売っていて、見てるだけで面白かったです。

ただ、せどりや転売は仕入れが必要になりますし、自宅も当時は手狭なアパートだったので、商品を置くスペースも、ほぼありません。

なので、仕入れのいらないネットビジネスにチャレンジしてみようと思い、あるアフィリエイトスクールに入ることにしました。

もうずいぶん前のことなので記憶があいまいなのですが、確か、

半年で月20万円、そこから右肩上がりに数十万、数百万と金額が上がっていく

というように書いていたと思います。

今でこそ「これはあり得ない」と判断できますが、当時は知識も経験も免疫もなく、それを本気で信じていたんです。

そして、お察しのように、ここからいろんなことが起こるのですが、それはまた機会があれば詳しくお話ししますね。

6ヶ月で30万円ほどの高額スクールだったため、すき間時間どころの話ではなく、かなり頑張って取り組んだんですが、結局半年経っても月20万円どころか2000円も稼げず。

で、今度はどこかからメールで流れてきた新しい情報商材に手を出します。

それは、当時まだ始まったばかりだったYoutubeで広告収入を得るというノウハウで、誰にでも簡単に稼げると書いていたので即購入。

マニュアル通りに動画をつくってアップしまくったのですが、思うように稼げませんでした。

でも、高いお金を払ってこのまま稼げないのも悔しいので、執念深くしつこくやり続けたんです。

ヘビ年です。

その結果、1年ほど経ったあたりで、サラリーマン時代の月収を超える金額を稼げるようになっていました。

ネットビジネスで収入の柱を構築

ネットビジネスだけで家族を養っていけるくらいの収入を得ることができるようになったとき、「勝った」と思いました。

本業の収入以外にも、収入の柱がもう一本増えたのです。

これで、もし本業がダメになることがあってもネットビジネスで生きていける。

なんなら「本業をやめてもいい」くらいに思っていました。

「パソコン1台で~」みたいなキャッチコピーをよく見かけますが、まさにその状態だったんです。

1台のパソコンが、ひと月に何十万というお金を寝ている間にも自動で生み出すとか・・・。

「自分で自分をほめてあげたい」

はっきり言って、調子に乗っていました。

ネットビジネスは詐欺なのか?

お金

で、ここまでは割とよくある話なんです。

こんなのは序の口で、稼いでいる人はもっとえげつなく稼いでいます。

そういう人からすると、月数十万とか鼻で笑われるかもしれません。

ネットビジネスは怪しいとか詐欺とか言われていたりしますけども、実際に稼ぐことは可能です。

僕が実際に自分で試して稼げたので、これは断言できます。

問題は、その稼ぎ方です。

どうやって稼ぐのか、ということが重要なんです。

インターネットでの稼ぎ方を教えている情報商材やスクールはたくさんあります。

僕はこれまでいろんなものを購入し、かなりの金額を投資してきましたが、残念ながら、詐欺に等しい商材やスクールを販売している輩が多いのも事実。

詐欺か詐欺じゃないかという線引きは難しいのですが、どう見ても

「明らかに詐欺だろ!」

というようなものもたくさんあります。

ですが、詐欺的なやり方でも稼げてしまう人がいたりするので、詐欺と言い切ってしまうのが難しいところなんです。

ただ、

  • いいね!するだけで月5万円
  • 設置するだけで永遠にお金を集め続ける自動集金ツール
  • 銀行口座に毎月お金を流し込む完全自動キャッシュマシーン
  • 1日1クリックするだけで月30万円の継続収入
  • 資金ゼロ、1日5分の作業で毎月100万円の不労所得

みたいなのは、間違いなくあり得ないので、申し込まないようにしてくださいね。

「そんなの申し込むわけないだろ!」

と思うかも知れませんが、セールスレターやランディングページを読んでしまうと買わずにはいられなくなるのですよ….。

耳ざわりのいい言葉は、ほぼウソだと思ってください。

そして、もし稼げたとしても、間違いなくそれは一時的なもので終わります。

ツールや片手間の作業での継続収入とか絶対にあり得ません。

いつかは、必ず終わりがきます。

ネットビジネスって副業感が強いですけど、れっきとしたビジネスです。

ちゃんとした収入を継続的に得ていくためには、正しいことを正しくやり、真っ当な方法でビジネスをしなければなりません。

でなければ、僕のような悪夢に見舞われることになってしまいますよ…。

悪夢のアカウントBAN

結論から言いましょう。

報酬を得ていたメインのアカウントがBANされたため、収入のほとんどが一瞬でなくなりました。

理由ははっきり分かりませんが、規約の変更・もしくは違反、通報、機械的な削除みたいな感じだと思います。

アカウント”BAN”(バン)というのは、いわゆる「アカウントの停止、凍結、削除」という意味です。

ある日、いつものように作業しようと思ったら知らない間にアカウントからログアウトされていて。

おかしいな、と思いつつログインしようとするとログインできないんです。

状況が飲み込めないまま、なんとなくイヤな予感と共にメールボックスを開けてみると、

「アカウントは現在停止されています」

の文字が…。

「え、マジで!?」

一瞬思考停止におちいり目の前が真っ白になってしまったものの、気を取り直して原因と復旧方法をネットで検索しました。

が、しかし…

いろいろ調べてみた結果、どうやら一度停止されてしまったら、アカウントの復旧はほぼ無理のようで…。

「あきらめたら、そこで試合終了だよ」

と安西先生は言っていましたが、今回ばかりはあきらめるしかなさそうです。

1年かけて必死で積み上げてきたものが、一瞬にして崩れ去ってしまいました。

まあ、手法自体は確かに微妙だったのは事実です。

規約には違反していないけど、アカウント停止について正面から異議申し立てできるかというとできない、みたいな。

後から考えると、グレーといえばグレーではありました。

まあ、このまま続けていたとしても、結局は遅かれ早かれこういう運命にあったんだと思います。

アカウントが消えてはしまいましたが、これまで稼いでこられたことに変わりはないのでいい勉強にはなりました。

ただ、足らずを補っていた収入が一夜のうちに吹き飛んでしまったのは、想像以上のダメージです。

本業で売り上げが落ち込んでいた部分をかなりカバーしていましたし、収入の柱としてアテにしていたからです。

なんの前触れもなく、いきなり収入がゼロになってしまったことで、資金繰りが一気に窮地におちいってしまいました。

奥さんには「報酬がゼロになった」とか口がさけても言えません。

目の前には、残高の減った通帳と請求書の山。

アカウントBAN、そして転落へ…。

ネットビジネスのリスクとデメリット

ノートパソコン

恐らく、もう一度同じことをやれば同じように稼ぐことはできると思います。

ですが、また1年後にはアカウントが停止され報酬はゼロに逆戻りです。

いえ、1年どころか、次回はもっと早いかもしれません。

しかも、実践する人が増えれば増えるほど、規約も厳しくなるのは明らかです。

※実際、Youtubeの規約はどんどん厳しくなり参入障壁も上がってきていますね

報酬目当てに規約違反をする人もいますし、グレーゾーンを狙ってくる人もいます。

アフィリエイトで報酬を得られるということは、その原資となる広告費を払っている広告主がいるわけです。

自分が広告主なら、そんなことをする人たちに報酬を支払いたくはありませんよね。

規約違反やグレーゾーンのコンテンツに広告が掲載されることで、イメージダウンにもつながりかねませんし。

「いやいや、お前が言うな!」

って言われそうですけど、改心してますので大目にみてやってください。

この件で得たものは、ちゃんと世の中に還元していくつもりです。

で、話を戻すと、GoogleやFacebookなどの主な収入源は広告収入なので、広告主がいなくなるとビジネスが成り立たなくなってしまいます。

広告主だって、効果がなければ広告を出す意味がありませんし。

なので、不正を排除し、広告の効果を最大限に高めて、どんどん広告費を入れてもらえるように規制したり規約変更を繰り返すわけです。

ですが、いくら規約を変更しても不正をしたり、抜け道を探して報酬を得ようとする人間は必ず現れます。

で、また規制。

どこまで行っても、結局はその繰り返しです。

今回の件で学んだのは、「プラットフォームへの依存はハイリスク」ということ。

規約変更で、今までOKだったことが突然ダメになるという可能性は大いにあり得ます。

というか、実際にあります。

僕がペナルティを受けたのが、いい例です。

そうなると、これまでやってきたことが一瞬で水の泡になってしまいます。

結局は、アフィリエイトも元請けと下請けの関係と一緒だと思いました。

自分の利益だけを考えていても成り立ちませんし、依存しすぎるのもよくありません。

1つのプラットフォームに依存しすぎると、なにかあった時に、取り返しのつかないダメージを受けてしまうことになります。

アカウント停止の一撃でアウトです。

こんなリスクを毎日感じながら過ごすなんて、精神衛生上も良くありません。

もちろん、ネットで稼ぐ方法は無数にあるのでリスク分散をすることはできます。

が、基本的には何らかのシステムやプラットフォームに依存することになる形式がほとんど。

システムやプラットフォームを利用する以上、規約変更やサービス終了、アカウント停止などのリスクからは逃れられないのです。

そもそも、そんなに多数のビジネスを同時に回すのは簡単ではありません。

調子に乗って本業をやめないで、本当に良かったと思いました。

父さんの仕事はユーチューバ―?

ネットビジネスで稼げ始めたとき、本気でネットビジネス1本でやっていこうと思っていた時期がありました。

当時、いろんなネットビジネスをやっていたのですが、特に報酬が多かったのがYoutubeだったんです。

Youtubeが盛り上がっていた時期で、とにかく動画を上げれば報酬が入るという感じでした。

これを副業じゃなく本業でやっていけば、相当な収入になるんじゃないか、そう考えたわけです。

そんなある日。

当時まだ幼稚園生だった娘と「将来の夢」について話していた時のこと。

父:「君は将来なにになりたいの?」

娘:「幼稚園の先生!」

父:「へぇー、いいじゃん!楽しみだね」

娘:「父さんは?」

父:「父さんは野球選手になりたかったねぇ」

娘:「じゃあ、どうしてならなかったの?」

父:「なりたかったけど、なれなかったんだ」

娘:「なんで?」

父:「ちょっと頑張りが足らなかったのかな」

娘:「ふーん、じゃあ今はなにしてるの?」

父:「え?今は・・・」

一瞬、返答に詰まってしまいました。

「自分の仕事ってなんだろう?ユーチューバー?アフィリエイター?」

当時、ユーチューバーが流行っていました。

ヒカキンさんとか有名ですよね。

【僕の仕事はYoutube】という本も出されています。

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「ユーチューブで収入を得ているからユーチューバーになるのか。広い意味で言うとアフィリエイトだからアフィリエイターになるのか…うーん、よく分からん」

父:「父さんはね、設備屋さんをしているんだよ」

娘:「設備屋さんてどんなお仕事?」

父:「お家や建物をつくるお手伝いをしているんだ」

娘:「へぇ~、すごいね!」

父:「・・・」

子供に仕事を聞かれたとき、ユーチューバーとかアフィリエイターって、なんだか言いづらいなぁって思ったんです。

大人:「お父さんのお仕事はなんですか?」

子供:「ユーチューバー」

大人:「え?」

子供:「アフィリエイター」

大人:「・・・」

もし本業をやめてネットビジネスだけで収入を得ていくとするなら、Youtuberとかアフィリエイターとか、そんな肩書きになってしまうのでしょう。

子供がもし学校や就職の面接などで親の職業を聞かれたとき、どう言えばいいのか?

子供の将来を考えても、ネットビジネス一択はないと思いました。

例え、どんなにお金が稼げたとしても。

完全な個人的意見です。

そして、この出来事が、自分のこれからと向き合うきっかけになったのです。

【2020年5月19日追記】

その後、Youtubeはかなり盛り上がってきて、Youtuberも市民権を得てきました。

僕自身もいまだYoutubeをやっていますし、職業としてのYoutuberはアリだという考えに変わってきています。

アフィリエイターもしかり。

死ぬまで続けられる仕事

「自分の仕事は、本当にこれでいいのか」

40歳を目前にして、改めて、自分にそう問い直しました。

もともと父のあとを継いだのも、自分の意志ではなく長男という義務感からです。

正直、自分のやりたかったことではありません。

ただ、やるからには本気でやろうと事業を大きくするために頑張ってきました。

ですが、下請けや売り上げの壁にぶつかり、収入を安定させたいとネットビジネスをはじめました。

で、ちょっと稼げたからといって、目先の収入に目がくらんで、あわよくばネットビジネスだけで生きていこうとしていたのです。

改めて考えると、本当に大切なことが見えていませんでした。

生きていくためにはお金が必要です。

家族も養っていかなければならないので、理想ばかりを追求してもいられません。

「自分のやりたいこと」などと自己主張して仕事を選んでいる場合ではないことも
理解しています。

仕事があることに感謝して、目の前の仕事を一生懸命こなすべきでしょう。

家業を継いだのが自分の本意でなかったとはいえ、仕事があるということは本当にありがたいことです。

頭では分かっているんです。

が、やっぱり気持ちが付いてきません。

もし家業をやめてネットビジネスを専業でやれば、それなりには稼げると思います。

ただ、お金を稼ぐという目標は達成されたとしても、それで一生を終えて満足できるかというと答えは「No」でした。

  • 自分が生まれてきた意味はなんなのか
  • 自分がやるべきことはなにか
  • 自分は世の中になにを残せるのか

僕は常々、死ぬまでできることを仕事にしたいと思っていました。

死ぬまでに一つのことを極めたい、という思いがありました。

そして、多くの人の役に立ち、人を明るく元気にさせ、勇気や希望を与えるような仕事がしたいとも思っていました。

残念ながら、設備業ではそれを叶えることはできません。

なぜなら、建築設備の仕事は、かなりの力と体力を必要とするからです。

歳を取り、仕事を続けていく体力がなくなったら終わりです。

また、お施主様や関係者の方の役に立ったり喜んでいただくことはできるでしょうが、ごく限られた人数になってしまいます。

勇気や希望を与えるというのも、ちょっと考えづらいです。

もし体が動かなくなって寝たきりになってもできる仕事。

1人でも多くの人を元気にし、勇気や希望を与え、役に立てる仕事。

そして、誰かの記憶に残り、生きた証を残せる仕事。

「コピーライター」なら、それらをすべて満たすことができると考えました。

もし寝たきりになったとしても、文章を書くことなら、ベッドの上でもできます。

インターネットを使えば、世界に発信することもできます。

本を読んだり映画を見たりして、スキルを高めることも可能です。

「コピーライター」なら、まさに死ぬ瞬間まで仕事ができると感じたんです。

小さいころから言葉が好きで、本を読んだり文章を書いたりするのが好きでした。

なので、一生をかけて「言葉」を磨き、追求し、極めていけたら、きっと楽しい人生を送れるんじゃないかと思ったわけです。

まだ正式に活動し始めて1年少々ですが(2017年現在)、「コピーライター」は僕の天職だったと心から自信を持って言えます。

「コピーライター」という仕事に出会えて、本当に感謝しています。

とはいえ、まだまだこれからですし、きっと色々なことがあると思いますし簡単な道のりでないというのは分かっています。

が、とにかく自分を信じてコピーライターとしての人生を全うしていきます。

記録より記憶に残る男になりたいです。

ここまでが、僕がコピーライターに転職した理由と2017年時点での結果です。

少しでも参考になればうれしいです。

長文お付き合いいただきありがとうございました。

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たにー
コピーライターやってます。

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